こんにちは、松本千嶂です。
今日は「書道の目的」について、自分なりの考えを述べたいと思います。
文字はもともと意思や感情の伝達手段として生まれました。私たちは日常生活を営む中で、文字を書かない日はないと言っても過言ではありません。その文字が明瞭で誰にも読むことができれば、それで文字の目的は達成されます。しかしながらさらに、より美しい、また相手に快適な印象を与える文字を書くことができればそれに越したことはありません。それが毛筆で書かれていれば尚更のことです。 実用書道 の目指すところです。
これに対し、 芸術書道 の目的は、「文字を美的に表現する」ことです。美的感覚は個人差があるわけですから、「美的表現」とは何かということを一律に定義することはできません。ただ、「文字」を表現対象としているのですから、出来上がった作品が「文字」として成立していなければ「書」とはならないことは言うに及びません。
ところで、実用書道であれ芸術書道であれ、その根底には 伝統書道の書法 がなければならない、と思っています。
伝統書道の書法とは、言い換えれば 古典の書法 ということです。
古典というのは、甲骨文、石鼓文、碑、法帖等、永い文字の歴史の中で遺されてきた、書道を学ぶ上での資料、教科書となっているものをいいます。その代表的なものをいくつか紹介します。
甲骨文
(こうこつぶん)
石鼓文(大篆)
(せっこぶん(だいてん))
泰山刻石(小篆)
(たいざんこくせき(しょうてん))
曹全碑(隷書)
(そうぜんのひ(れいしょ))
十七帖(草書)<王羲之>
(じゅうしちじょう(そうしょ)<おうぎし>)
九成宮醴泉銘(楷書)<欧陽詢>
(きゅうせいきゅうれいせんのめい(かいしょ)<おうようじゅん>)
蘭亭叙(行書)<王羲之>
(らんていじょ(ぎょうしょ)<おうぎし>)
風信帖(行草)<空海>
(ふうしんじょう(ぎょうそう)<くうかい>)
玉泉帖(行草)<小野道風>
(ぎょくせんじょう(ぎょうそう)<おののとうふう>)
この他にも数多くの碑や法帖があります。多くはその時代やその時々の記録として、あるいは実際に交換された書簡として残っているもので、はじめから芸術として書かれたものではありません。貴重な歴史的資料ということができますが、碑・法帖に包含された美的表現の方法が、書道という芸術の歴史の中で営々と継承されてきたという意味において、歴史的資料としての価値に加えて芸術的な価値もあるということができます。その全ての碑・法帖の技法を会得することは容易なことではありませんが、できるだけ多くの碑・法帖を鑑賞し、その書風を感じ取るだけでも、作風に違いが出てきます。また、好きになった古典が一つでもあれば、その用筆(筆使い)、結体(線や点の組み合わせ方)、章法(字の布置)を学び、それを自分の作品作りに生かすことができれば、作品の質も高まるのではないでしょうか。
きれいに片づけられた部屋で、心静かに磨墨し、白い紙に筆を運ぶ。書道は集中力を身につけ、情操を養うことにもつながります。これも忘れてはならない目的の一つです。